不必要の意義

相変わらずというか、内田先生のblogを読んで。

自分の存在理由を消去するために全力を尽くす。
そのような仕事だけが真に人間的な仕事である。

この言葉というのは、とても大切な側面を捉えているなと思う。自分自身を振り返ってみても、現在の自分の意味は、まさにこの点にこそある。自分を消し去るようにしながら、ある種の刻印を残していく。そこにこそ、文化というか慣習というか、そんな何かを見出すことになるのではないだろうか。

喜びと悲しみが相互的に亢進するというのが人間的営為の本質的特性である。
楽しいか悲しいか、どちらかに片づけてくれないと気分が悪いというようなシンプルマインデッドな人は「人間に向いてない」と私は思う。

おかげさまで、いまはそんな状況を楽しんでいる。こういうのは大事。時にはもう少しなんとか…と思うこともあったりするが、大枠として向いている方向は間違っていないのではないか。そういう、変な確信がある。複雑でどちらともいえなくて、もしくはどこか矛盾していて…。そんな訳分からないところにこそ、訳分かる何かというべきものがあるのではないか。
だからそこの訳分からなさに正面から向かい合うことだけが求められるのだろう。