ダルフールと無関心

こちらのblogでニューヨークタイムズのコラムの翻訳が出てる。ニューヨークタイムズって登録しないとwebで見れないから面倒だなーって思っていただけに、とても嬉しい。。
さて、そこで記事になってたのは「The Silence Of Bystanders」という記事。翻訳のはこちら
いまのダルフールの問題を無視して、あらゆる人道問題は語れない…。あまりにもひどいからだ。もちろん、ひどさは計量できるようなものではないが、スーダン政府との関連があるという意味では、かなり悪質極まりないと思う。(コソボでのセルビア人への問題もそういう意味で被る点はある)

Elie Wieselはかつてジェノサイドの犠牲者についてこう言った。「忘れないでおこう。犠牲者を最も苦しめるのは圧政者の残虐性ではなく、傍観者の沈黙である。」そして今、弁解不能なのは、われわれの沈黙なのである。

この言葉はとても重い。実際、事実であるだけに。実際、非難の声はあるが、ここは難しいところ。実際にこういう事態を防ぐためにはある程度の介入が必要だし、そのための武力的な裏づけも必要だし、介入後に構築される自由と多様性を基本にした「集団の知恵」への移行がとても重要だ。しかしそれは一歩間違えればただの侵略といわれることにもなる。国連安保理なんて何の役にも立たない!のだから。
このコラムで述べられる人々の意見は言うだけなら…の典型で、実際にどうなのかはよく分からない。ただ言えることは、民主主義や自由について、もしくは判断を下すための妥当的な条件については、もっと考えられるべきだろう。その上で具体的なアクションがなければ、本当の意味で「意味がない」のだろう。
自分自身、行動できてるわけではないのであれではあるが…。