今こそ、プリンシプルを。

東京電力の行方については、様々な意見がある。莫大な損害賠償を背負うことになるだけに、そこを誰がどのように負担するのかは、確かに議論の的だろう。
それだけにまずは事実を並べた上でプリンシプルを大事にした対応が重要だと思う。まずもって、電力債の位置づけがまだ正直よく分からないが、確かに条文を素直に読む限りは、損害賠償請求権よりも電力債(担保つき社債)が優先されるという風に読める。
下記URLにて紹介されている議論を読む限り、国会でも同様の答弁のよう。
http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20110425/p1

まずはここら辺りがどうなのよ、という事実を基に整理していきたいもの。
次に賠償額をどこから持ってくるのよ、という話。
下記のURLはそもそもの上記の優先権の話は別として、趣旨としては非常に賛同できる。
東京電力は日本政府を訴えるべき – 橘玲 公式BLOG

今回の震災が免責規定に該当するか、というポイントも正直よく分からない。周期的には予測してしかるべき、という声もあり、それはそれで理解できるものの、震災の規模も相当であったこともまた理解できなくはない。また別の切り口としては国が今回の地震の程度を想定すべきとしていたのに、、という話もあるし、そもそも原子力行政なんて国と会社が不可分な主体なのだから、切り分けられる訳もない、という観点もある。
経営責任、株主責任というのも回避できない。コーポレートガバナンスの原則から考えれば、安定性の利益を享受していたことの裏腹としては、こういうリスクも拾うべきなのは言うまでもないところ。

テクニカルに考えれば、挙げだせばかなり多くのスキームがあるはずだと思う。事実を並べて、どこか議論のポイントなのか、まず把握したい。その上で、議論しても結論がでない問題は司法の判断に委ねましょう、と思う。

結果的に上記のことを通じて、国民は多くの負担をすることになるかもしれない。税などの形であることもあれば、保有資産の毀損という形でもあるかもしれない。(例えば直接株を持っていなくてもインデックスにもはねているので、毀損はある)
でもそういうのに、ただ"いやいや"をするのではなくて、現実はあるがままに受け止めて、それをどうするかに智慧をしぼりたい。そしてそこに向けて発言、もしくは発言するひとをピックアップすることこそが、民主主義の原則だといえる。逆にいえば、これまでも暗黙的にか明示的にかは置いておいて、そうし続けてきた。

自省を込めて、今こそ法治国家/民主主義国家のプリンシプルに則って、事実を見つめたいもの。