今思えば

つらつら。思いついた順に。掘り下げられるかは今後次第で。
僕自身のことをよく分かるための3年半だったなという感じもする。僕が基本的にビジネスマインデッドな感じになりきれないなぁと思いながら、それに従って判断を続けていたわけだけど、それはすごくいい勉強になった。身近にそれこそビジネスマンの先輩がいるわけで、それはそれはというところだった。
内田樹が書いてて、ほぉと思ったのは、ビジネスには時間がないということ。win-winの関係、等価交換の関係には時間が必要ないということ。それ故に、「自分の分からないこと」に対しての意識が違うものになるということ。なるほど。それは確かにと思う。インターンをしてくれるひとに対しても、スタッフをしてくれるひとに対しても、はたまたそれぞれの場所で頑張るひとに対しても思うのは、「分からないこと」を大事にしなければならないということだけなのだ。それだけで、日々の生活は随分楽しくなってくる。
等価交換モデルと贈与モデルの問題については僕が語れるほど詳しいわけではないので、ここでは省略しつつも、少しずつ、そのような価値観を共有できる圏域は出来てくるのではないかなと感じる。この国は特に、これから単純な経済とかのレベルでいくと、いかにソフトランディングさせていくかがキーになる訳で、「嬉しい」「楽しい」「気持ちいい」を軸にするのはとてもいいと思う。
それに関連してジェイピーですごくいいタイミングだなーと思ったのが、ケネディの「Ask not what your country can do for you. Ask rather what you can do for your country.」だ。これは本当にいい言葉だと思う。国家という言葉自体はどちらでもいいのだけど、要するに「国家は(私の対価に対して)何をしてくれるの?」という問いに対して、この言葉は保留させる。ケネディが尊敬する日本人として挙げ、内村鑑三が『代表的日本人』として入れた上杉鷹山も、こういうタイプだった。
「分からない」「保留する」こういうネガティブな言葉を一方で大事にして欲しいと思う。もちろん、生きていくためにそうばかり言ってられないこともあるのだけど、心のどこかに置いておきたいと思う。
あと、高校のときとかからの課題ではあるのだけど、問題意識を掲げることの重要さを改めて思い知る日々だった。これを持ってないと、さっきの保留の精神もなかなか生きないよなぁ、と。
最後にもう一つ学べたのは、テクニックかもしれない。人間が1人、生涯に果たせる成果なんて、知れている。牛歩の歩みでしか成し遂げられない。だからこそ、牛歩のサイズに問題を上手に切り取ってやる必要があるし、切り取ったものをたくさんの人と協力しながら進めていかないといけない。色んな仕事のテクニックっていうのは究極的には、どうやって牛歩のサイズに切り取って、切り取ったものをどのように成し遂げて、成し遂げたものをどうやって評価するかということに尽きるような感じすらある。(もちろん、違うだろうけど)
とりあえず、こんな感じで社会人生活をスタートする。十牛図の「入てん垂手」の境地にいきたいものの(てんは漢字が出なかった。。)、そもそもまだまだ先は長い。あ、ちなみに十牛図はすごく面白いから、おすすめです。

下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち

下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち

芸術人類学

芸術人類学

呪われた部分 (ジョルジュ・バタイユ著作集)

呪われた部分 (ジョルジュ・バタイユ著作集)