命の所有権

http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20061017ddm005070074000c.html
極東ブログさまでも触れられてて、ほーと考えさせられた。こういう関連の話をすると、どうしても法律的枠組をって話になってしまうのだけど、法律はあくまで社会的共存を実現するためのツールに過ぎないことを忘れないようにしなければと思う。
で、目的的に考えると命は誰のものなのか?命は何によってコントロールされるのか?という問いから、どうしても逃れることが出来ない。これまでの枠組みに命の所属がおさまらないところに、意見が交錯する原因があるのではないか。そういう意味では脳死やら移植の問題にも似た点に、課題があるように感じる。
前、ゼミでちょろっと出てて、面白そうなので読んだのが、ドゥオーキンの『ライフズ・ドミニオン』。生命の神聖性については、批判も色々あるようで(全部キャッチアップできてない。。)、何とも言えないのだけど、主張にはうなずける点が多かったように思う。これと近代社会の原則をあわせて考えつつ、仕組み化していかなければならない。ここら辺の議論が、当たり前に出来るようになりたいな…というか、ならないと、ね。

ライフズ・ドミニオン―中絶と尊厳死そして個人の自由

ライフズ・ドミニオン―中絶と尊厳死そして個人の自由