監視社会

先日、話題になってた『グーグル―既存のビジネスを破壊する』を買ってきて、すぐに読んだ。すごい整理されてて、分かりやすいなぁという印象。『ザ・サーチ』と、『ウェブ進化論』と併せて、google本3大集って感じです。
で、気になったのがやっぱり、googleの最後に可能性としてありえる監視社会について。オーウェルが『1984年』に書いていたものとは、似ているようで少し異なるような監視社会は、確かにありえる気はする。
そこの問題の乗り越えには2つのポイントがあるんじゃないかなと思う。1つ目は、非合理性という観点。yahooなんかは人間の力を最終的な段階である程度信用しているという点で、googleよりは非合理的かもしれないが、それでもなお、非常に合理的だ。もっと違うアプローチがいるように思う。僕は中沢新一の『野生の思考』と『呪われた部分』をつなぐような試みは、非現実的かもしれないけど、面白いなぁと思うのはこのためだ。そのような社会の構成は、google的(と敢えて言う)な監視社会とは違う社会を構成するだろう。
2つ目はもっとgoogleがたくさん出てくること。単純に多様性を確保することがgoogle八分の問題などを見ても重要なことだ。それでいうと、そのようなものを育成する何かが重要なのだろうなぁ。
まぁ基本的に現時点では、僕はgoogleにとても頑張って欲しいのですが…。面白いよね、単純に。

グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する  文春新書 (501)

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