選挙と自由

自分は民主主義者、というよりは自由主義者であると自覚している。諸処の制度はいくつかの選択肢があるだろう。無論、自由主義と言っても大きな振れ幅のあるけれども、そこは今回のところはあんまり深追いしたくない。自身にとっても、確信のある全てに対応する答えはない状態である。そんなものが手に入るとも思えないが…。
こと選挙に関して言えば、選挙に行きたくないものは行かないことが許容されるべきであろうと思う。(欲しいひとが得ることができるのは前提になるが押し付ける必要性もないという意味)
一方で自由主義は高度な意思判断を要求する。オルテガの言葉はその意味を再確認させてくれる。(これは当然、オルテガの主張に全て賛成を意味するものではない)

自由主義は、敵との共存、そればかりか弱い敵との共存の決意を表明する。人類がかくも美しく、かくも矛盾に満ち、かくも優雅で、かくも曲芸的で、かくも自然に反することに到着したということは信じがたいことである。

自由主義は、最高に寛大な制度である。なぜならば、それは多数派が少数派を認める権利だからであり、だからこそ、地球上にこだました最も高貴なさけびである。
それは敵と、それどころか、弱い敵と共存する決意を宣言する。敵と共に生きる!
反対者とともに統治する!

文明は何よりまず、共同生活への意志である。他人を考慮に入れなければ入れないほど、
非文明的で野蛮である。野蛮とは、分解への傾向である。だからこそ、あらゆる野蛮な時代は、
人間が分散する時代であり、たがいに分離し敵意を持つ小集団がはびこる時代である。

「彼らは、文明の利点の中に、非常な努力と細心の注意をもってして初めて維持しうる奇跡的な発明と構築とを見てとらないのだから、自分たちの役割は、それらを、あたかも生得的な権利ででもあるかのごとく、断乎として要求することにのみあると信じるのである。
磯饉が原因の暴動では、一般大衆はパンを求めるのが普通だが、なんとそのためにパン屋を破壊するというのが彼らの普通のやり方なのである」

そのような高度な意思判断は脆い。すぐに壊れるものだ。大事なものは積極的に守るべきだろう。上記は僕の観点でしかないが、それぞれにとって大切なことは何なのか、異なると思う。であれば、その異なるものが何なのか考える機会は重要だし、そのトピックについてどのような政治的主張が行われているかは注目に値する。
現在の日本においては政治的な体制は間接民主主義であって、投票は一番お手軽な主張のチャンス。この機会に自身を振り返り、投票に行くのはすごく貴重な機会である。