世界の終わりのものがたり

女性用育毛剤おすすめランキング@効果口コミで人気の商品はコレ!

日本科学未来館で見てきた企画展。科学は永遠の進化の過程にある学問であると捉えるならば、その前提を問わなければならない。それは使う、自分たち自身のことでもあります。学生時代からよく考えてきたテーマを改めて問われた、すばらしい展示でした。常設展の中でも、科学の進化と医療の関連(遺伝子情報の取り扱いとか)など、興味深い展示が多かったです。概要と感じたことをメモ。

予期せぬ終わり

リスクの種類(影響度と頻度)から、どれを自分が選択しているリスクなのかを明らかにする。その上で未来予測が出来るとして、知りたいか、否か。ポイントは現在進行形の科学であれば、当然に確率論になるというところ。天気予報のようなレベルのリスクではなく、生命を左右したりする類(会場では地震予測)の場合、その予測に対して結局どうするかは人間の判断ということになる。(今回の大震災後の放射能問題と避難するか否か、も究極的にはリスクをどのように捉えるかに依存する)

わたしの終わり

生命倫理では昔からよく論じられてきた、生命のはじまりと終わりの問題。そしていのちの定義の問題。この展示では例えば、脳死の問題や尊厳死の問題が語られる。医療の進化により死の定義は変わってきている。単純な死から、point of no returnへ。展示中でもヒントとして書かれていたけど、人間の関係性を意識することが必要だろう。厳密には生まれていなくても生まれていることはあるだろうし、死んでいても生きていることもある。それはつまり、生命の段階性(生から死へのプロセスの中でひとはいつ死に、生まれるか)を意識しないといけない。

文化の終わり

社会に目を映した場合の環境問題などを取り扱うセクション。サステナビリティーをテーマに持続可能性の観点と、一方で過去に起きたダイナミックな変化(恐竜の絶滅など)をどのように捉えるかを問う。仏教の世界観で縁起とも捉えられたように万物は絶えず変化していることからして、本当に持続的なことはあり得ない。持続可能性は変化の枠組みの中で、人間の都合のもとで地球の体力を考慮した開発計画を行うことであって、そういう意味ではこのテーマとはレベル感が違う問いなのではないかと個人的には考える。(そのことは食料や水資源に関する観点、人口爆発に対する評価などとも密接に関連するテーマ)

ものがたりの終わり

最後に問いを投げかけておしまい。

  • あなたにとっての世界の終わりとは何が終わることでしょうか?
  • 大切な何かを失ったとして、本当にそれが「終わり」でしょうか?
  • 「終わり」から、あなたが始めることはなんでしょうか?