師説

http://www.e-t.ed.jp/edotori390124/cksisetukk.htm
韓愈のもの。学校で印象的だったことなぁ、というので思い出したのがまずこれ。あと、同じ漢文つながりで報任少卿書(司馬遷)も印象深い。
ちなみに白文が見つからなかったのが残念。あれがすごいよかったのに。

是の故に貴と無く賎と無く、長と無く少と無く、道の存すると所は、師の存する所なり。

これは本当にそのときに思ったこと。後輩だからどうこう、先輩だからどうこう、先生だからどうこう、親だからどうこうは無いのだという確信を自分の中で持った。と同時に、師に対しての礼節ということも考えさせられることになった。

今の衆人は、其の聖人を去るや、亦遠し。而るに師に学ぶを恥づ。是の故に聖は益〃聖にして、愚は益〃愚 なり。聖人の聖たる所以、愚人の愚たる所以 は、其れ皆此に出づるか。

これも痛烈。

故に弟子は必ずしも師に如かずんばあらず。師は必ずしも弟子より賢ならず。道を聞くに先後有り、術業に専攻あり、斯くのごときのみ。

これも肝に銘じていること。

このような師説を贈られるなんて、本当に幸せものである。そしてその説が今に残り、読むことが出来ることに心から感謝したいと思う。これこそが本の偉大な点の一つだろう。