エコロジーの半分は思想で…

「アル・ゴアに不都合な真実」
エコロジーはある意味で、ただの思想なのです。だから批判はある程度まで健全である一方で、ある意味では外れているとも言えるのです。ディープエコロジーなどは先鋭的であるにせよ、要するに人間と人間でないものの間に、「何かがある」と感じるのかどうか。感じるとすれば何を、どのように、どれくらい?という類なのです。
ちなみにもう半分は色んなところからの要請なのであります。別に原始時代万歳なわけでない限り、何らかの要請に従い、色々と開発するわけですが、それのしっぺ返しを最小限に防ぐ(リターンとコストの関係を適切に保つ)ために、エコロジーが要請されるわけでありました。
そんなこんなを踏まえると、批判はある程度まで正しいといえるかもしれません。京都議定書自体については云々ある訳でして。ただ、ゴアのまなざしの先には、あの爛れたアメリカがある訳で、そういうのも踏まえてあげる必要はあるかと思いました。繰り返しになりますが、科学映画でも環境映画でもなく、要するに思想映画なのです(そんなジャンルがあるかどうかは別として)。きっと。実はまだ見に行って無かったりしますが、この点は結構、確信めいたものを持ってたりします。ダーウィンの悪夢と同じ系ね。
ちなみにちなみに、エコロジーの定義はだいぶ適当なのですが、そこは突っ込まないで。。