ダーウィンの悪夢

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梅田ガーデンシネマで見てきました。色々といわくつきの映画でありますが、見てきた感想としても同じく、(良くも悪くも)主観の尖がった映画だと感じました。
映画『ダーウィンの悪夢』に関する「嘘」について - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)
2006-12-21 - 研究メモ
ダルエスサラーム便り
吉田昌夫「フーベルト・ザウパー監督による映画『ダーウィンの悪夢』について」
2006-09-29
僕は正直、タンザニアの状況にほとんど知識が無いので、上のサイトなどをお読みになった方がいいと思う。(僕はせいぜい、比較的安定的なアフリカの国だという程度の認識)まぁ映画の中身といえば、正直、不自然に感じる部分はあったので、指摘の通り、ウソも混じってるのかもなという感じを受けた。
一方で盛大に突っ込まされている感も否めないのかもしれない。結局、監督にとってはタンザニアの状況は(語弊がある言い方ではあるが)どうでもよかったのかも、と思えた。
JMM(村上龍のメルマガみたいなの)に1月2日に配信されたものの中で、監督と村上龍の対談を掲載していた。ちょっと長いけど、一部引用。

ザウパー 結局、私にとっては、ドキュメンタリーとして現実を見せるということは、自分の仕事の一部だとは思っていません。私の映画を通して現実を見せようとは思っていないんです。アフリカで飢餓があり、そして戦争があり、社会的な崩壊があり、不正義があるということは、人びとはみんな知識として知っています。ある意味で知り過ぎていると言ってもいいと思います。たとえば一つ例にとれば、アフリカでエイズが蔓延して、アフリカの人びとがエイズで死につつあるということは、誰もがうんざりするほど聞かされています。ですから、またそれを聞かされると、人びとは、あ、それはもう知ってるよ、また同じことだ、もういいよ、となります。情報過多の状態にあるわけです。そうではなくて、その状況の中で一人を取り出し、その人を映画的なコンテクストに置いて、顔と名前を与えた上で、その人がどういう経緯でエイズに罹ってしまったのかということ見せたいと私は思うんです。その関係性を見せていきたいわけです。つまり映画を通して、既に知られていることを、「知られていること」としてではなく、「知りたいこと」に変えたいのです。脳は、「何をすべき」というオーダーを受けることを嫌います。逆に、「何をすべきか考えろ」という形で挑発されたがっているのではないでしょうか。

村上 確かに挑発的な映画でしたよね。

ザウパー ええ。もちろん事実の調査ということもこの映画の一つの側面ではあるのですが、その結果がどうであろうと、それは重要なことではないと思っています。

最後の辺りは興味深い感じに思える。この映画で描かれる現実の問題は、ナイルバーチではなく、 むしろリプロダクティブヘルスが第一にある。(逆に言えば、映画でも描かれたようにカトリックはこの分野には無力だ。)去年か一昨年か忘れたが、『地球白書』などでも描かれていた点ではある。他にもきちんとしたガバナンスが構築されているかどうか、就業率の問題(ナイルバーチはこの点において貢献を認める必要がある)、教育の問題、支援の在り方など、まぁ、諸々ある。それを考えるきっかけとなるならば、きっと価値はあるのだろうと思う。
それにしても、これだけの指摘をネットで読むことの出来る状況に心から感謝するしかない。少なくとも僕は、気づけなかった視点であるのだし。

追記。
本棚漁ってたら、『地球白書』出てきた。2005‐06年版。

地球白書〈2005‐06〉―ワールドウォッチ研究所

地球白書〈2005‐06〉―ワールドウォッチ研究所