全社会と自分

全社会が終わった。まだ、3月の終わりまでは終わりではないけど、ある意味で区切りの機会。
相変わらず、バタバタ。鬼のように眠く、家に帰ると同時にバタンキューだった。でもまぁ、それも悪くない。嫌なわけではない。もちろん、好きなわけでもない。

ま、誰かがやらないとまわらないから。っていうのもあるけど、実際はもっと利己的な理由。それは「自分が楽しんで、そのせいで誰かが損な役回りをする空間の中での自分」より、「みんなが楽しんでいて、その中で結果的に損な役回りをする自分」の方が圧倒的にかっこいいと思うから。優先座席で代わったりとかするのも同じこと。
どんなときも、「本当に自分はどっちがいいのか?」というのを考えるようにしている。悩むときがあるのは当たり前。そんなときは、出来るだけ極端にして考えることにしている。極端なときに出る差異は、僕にとって意味のある差異だから。
AとBの差異、1と2の差異。そして差異と差異の差異。