ま、色々ある

タイトルの通りだが、ま、色々ある。
結局、「断絶」は世界のどこに位置づければいいのだろうか。僕にはよく分からない。それが僕にとって他者との「断絶」の境界線であるし、分かられるはずはないというのもまた、「断絶」の境界線である。
もし言葉に意味があるとするならば、「断絶」の乗り越えへの試みこそが「断絶」をより開くということかもしれない。「私にとってのあなた」はある一定の外枠からではまったく見出せない。その隙間を覗き込んだところで、全く無意味だ。それはたった一つだけで、他のものではなく(それが貴重だと考えるのはある意味では誤りだ)、見出せないことそれ自体に、「私にとってのあなた」の意味がある。
ある一定の外枠とその秩序は確かに重要だ。規律と信頼が何よりも重要な意味を構築する。それの擁護者としての立場は、常に守らなければならない。ただ、そこに見出すこともできないものが何かある。一歩上からみた、「わたし」と「あなた」の関係は、どちらにも見出せない。見出せないことにだけ、意味がある。
もし自分の中にエゴを見出した気がするのであれば、それはエゴではない。(逆説的に、ある意味において)エゴを見出すことは自分では不可能だからだ。
「わたし」と「あなた」「上」と「下」の間の「断絶」は想像以上に重い。

あやふやに考えてたけど、ま、色々ある。