何故、働くのか?

ゼミの中で。フロム『正気の社会』の発表の際でのセンセのコメンツから気になったところだけメモ。
この問いに対して、大きな回答は2つある。生きる糧を得るため、そして自己実現のためである。
マルクス(初期マルクス)は、人間の労働に非常に重い意味を見出した。それはある意味で自己実現であり、共同を基礎付けるものであり、人間的なものだとした。一方、生きる糧云々…というのは手段であり、動物的だ、と。
社会の中で、人間的なものは様々な「疎外」によって(生産物から、生産行為から、他者から、そして類存在から)、規制されているが、動物的なそれは、自由とされている。このねじれを、問題点として取り上げている。
僕はねじれを放置すべきだとは言わないが、その中で「ねじれのせいにする」ということは好まない。
結構、話としては現代的で、問題点は現在も持ち越されているし、問題意識も持ち越されているように思う。
モチベーション、自己実現のプラットフォーム。

経済学・哲学草稿 (岩波文庫 白 124-2)

経済学・哲学草稿 (岩波文庫 白 124-2)

正気の社会

正気の社会